層雲峡の黒岳から降りて来た後、ロープウエイ駅内の展示室で開かれていた、移動展「綾子の青春時代」「綾子の療養時代」を見学しました。 こちらでも光世さんから当時のお話をうかがいました。
綾子さんの教員時代の写真も掲げられておりました。 家内は私と結婚する前は短い期間でしたが教員をしており、この写真の綾子さんの姿が自分にそっくりだと何度もカメラのシャッターを押していました。
展示を見終わった所で、病床の綾子さんを信仰の道に導いた前川正さんの写真を肌身離さず持っておられると光世さんが上着のポケットから出して見せて下さいました。 光世さんは前川さんの死後に綾子さんと出会ったわけですが、お二人の姿、顔貌があまりにも似ているので、参加者の皆さんは驚いていました。 森下先生の話しの中にもありましたが、光世さんは綾子さんの心の中にある前川さんを含めた綾子さん全体を愛しておられていることがよく分かりました。 光世さんは、話しながらボケ老人とたびたび仰っておりましたが、非常に謙遜で真の信仰者であることがよく分かりました。
層雲峡のあとは一路旭川へ戻ったのですが、途中光世さんの秘書をされている方が元はバスガイドであったとかで、層雲峡の双璧を詳しく説明されていました。 そして旅の最後にはクイズタイムが用意されていて、森下先生のそれまでの説明や展示されていた内容から、色々質問され回答者には北海道のスイーツでしょうか賞品が配られていました。 綾子ファンの方が多くて皆さん身を乗り出して答えておりましたが、私の後席の方などは前席に座る私の体を含め掴んで腰を起こして一心に答えていました。 おかげで私の体にはしばらく鈍痛らしきものが残ってしまいました。
我々は自信もなく答えられず、参加者の9割ほどの方が賞品をいただいていたのですが、最後には三浦家からのプレゼントがあったのです。 光世さんが番号を引かれていたのですが、数少ないプレゼントの中から、家内は光世さんの色紙が、私は光世さんのサイン入りの著作「綾子へ」を頂いてしまったのでした。 やはり嬉しいですね。
最後は、光世さんと参加者で唱歌「夕焼け小焼け」「赤い靴」「叱られて」を歌いました。 光世さんは86歳だとか、しっかりした声で歌われておりましたが、元々歌がお好きだとかで綾子さんともカラオケへ行ったというような話もうかがったように記憶しています。
4時前に旭川の三浦綾子記念文学館に到着してから、再び館内の展示を、特に小林多喜二の母セキさんを主題にした特別展はじっくりと観ることができました。 そんな間にも、光世さんは売店で購入した書籍にサインをして下さると、家内は友達にもあげたいと文庫本を色々購入しサインしていただいていました。
5時少し前にいよいよツアーは終了ということで散会となり、旭川駅へ向かう参加者は光世さんやスタッフの見送りを受けて記念館をあとにしました。
頂いた光世さんの色紙です。 「忍ぶ心」を肝に銘じたいと思います。
そして頂いた「綾子へ」。 頂いたその日の晩から家内は読んでいましたが、光世さんの綾子さんに対する自戒の念がそこかしこに描かれているそうです。
このツアーの中で、光世さん、森下先生から啓示を受け、もう一度じっくりと「塩狩峠」を読んでみたいと思います。 たぶん、この氷点の地には再び訪ねることになるでしょう。
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