都心というか繁華街に出ると、心身ともに疲れを感じるようになり、ブログへの投稿もついついなおざりになってしまい、昨日は休みました。 今夕の黒姫のライブカメラ映像を見たら、我が家の畑の雪もあとわずかになってきたようです。 今頃、ブルーベリーの剪定をしたい所なのですが、多少芽がでてきても大丈夫そうなので、もう少し温かくなった次の連休時にでもやろうかと思っています。
さて、昨日は東京・御茶ノ水へ出かけました。 作家三浦綾子さんの作品を顕彰している三浦綾子記念文学館の特別研究員の森下辰衛先生から、星野富弘さんの詩集を朗読する会を開くと案内をいただき、昨年富山・鹿島町教会でのイベントでもお会いした中村啓子さんが朗読されるとのことでした。
中村啓子さんは、時の人で、NTTへ117を回すといつでもお声を聞くことが出来ますが、朝日カルチャーで朗読教室を開くなど、現在は朗読関係の活動を主にされているようです。 「しあわせのありか」というページでお声を聞くことも出来ます。
私は、星野富弘さんが体操の教師をされていて頚椎損傷で寝たきり状態となり、わずかに動く口を使って絵を書かれたり作詩されていることしか知らず、群馬県みどり市にあるという富弘美術館も訪ねたことがありません。 ただ、途中を走っているというわたらせ渓谷鉄道に乗って訪ねてみたいとは常々思っていました。
昨日の2時間ほどの朗読会では、富弘さんの詩集から選んだものを中村啓子さんが朗読され、朗読の合間に森下先生が解説されたもので、どの詩も胸にジーンと伝わって来るものでした。 特に、「母」や「菊」と題した項では、参加された方々が大変感じられたようで、ハンカチをポケットから取り出していました。 たぶん活字を目で追っただけでは感じられない、富弘さんの想いが行間の中に溢れていたのでしょう。
たんぽぽ
いつだったか きみたちが空をとんで行くのを見たよ 風に吹かれて ただ一つのものを持って 旅する姿が うれしくてならなかったよ 人間だってどうしても必要なものはただ一つ 私も余分なものを捨てれば 空がとべるような気がしたよ
小菊
よろこびが集まったよりも 悲しみが集まった方が しあわせに近いような気がする 強いものが集まったよりも 弱いものが集まった方が 真実に近いような気がする 幸せが集まったよりも ふしあわせが集まった方が 愛に近いような気がする。
母子草
母の押す寝台車で 病院裏へ行くと コンクリートの固まりに よりかかるように 母子草が咲いていた 私も花のように 空を見ていたら まぶしくて涙が出てきてしまった 母に泣いているんだと思われそうで はずかしかった
菊
母の手は 菊の花に似ている 固く握りしめ それでいてやわらかな 母の手は 菊の花に似ている
別れ
あなたが最後に見た季節が また巡って来ました あれから私は幽霊というものが いてもいいと思うようになりました できることなら あなたが幽霊になってもらってでも もう一度逢いたいのです 父ちゃん 気付くのが少し遅かったけれど 分かりました 詫びることも お礼をいうことも 出来なくなる別れが あるということを
れんぎょう
わたしは傷を持っている でも その傷のところから あなたのやさしさがしみてくる
昨年12月、富山で中村さんの「氷点」朗読を聞いた時は、大勢の参加であったこともあって、あまり心に沁みる感じがしなかったのですが、今回の富弘さんの詩の朗読では、大変感じるものが多く、しかも森下先生の解説でより深まったように思いました。(中村啓子さんの三浦作品の朗読CDは氷点、塩狩峠、道ありきがあり)
三浦作品の読書会では、森下先生のお話を録音したCDをわけていただいたこともあったのですが、今回のはやはり著作権上の問題があって難しいとのことでした。 個人的に録音しておけば良かったかなと思いましたが、後の祭りでした。
朗読会を終えてから、記者の方との取材をかねた昼食にご一緒させていただきながら、色々な方々のざっくばらんなお話が聞けてこちらも楽しかった。 100歳になられた日野原先生の取材では、お年に会わず整然と話され、話題もどんどん展開されておられたとおっしゃっていましたし、星野富弘さんは普段話される言葉は非常にフランクだそうで、我々部外者の知らない面を聞くことができました。
そして、「氷点」には青函連絡船の沈没場面が描かれ、外国人宣教師から救命胴衣を渡される箇所があるのですが、これはかつて信濃町で活躍され実際に連絡船事故で亡くなられたストーン宣教師をモデルにしています。 ストーンさんが関わった、信越病院そばにある信濃村伝道所は、現在信濃村教会と名前が変わっていますが、そのストーンさんの黒姫での姿が三浦綾子読書会での参考になればと、教会の牧師さんから50周年誌をいただいていたので、今回森下先生に渡しました。 ストーンさんを介して三浦綾子作品と黒姫がつながるのも、何かの縁なのでしょう。
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