中野孝次さんのお墓が須坂の浄運寺にあることを思い出し、前々から参詣に行こうと思っていたので、今日は出かけることにした。
上信越道・須坂インターの近くにあるものと詳しく調べずに行ったら場所が分からない。 やっと派出所を見つけてお巡りさんに聞いてたどり着くことが出来た。
先ず、その行き方だが、
須坂インターを降りて来た時、インター前の交差点を右折し須坂市街へと向かう。 1つか2つ目だったと思うが、"井上町"という信号を右折すると間もなくT字路に来る。 共にあまり広くない道路だが、ここを左折し50mか100mほどか、左側に"やきとり"、その隣が公民館が見えて来るが、これを右折。 その先の右にある商店を右折しても可。 手前を右折した時にはブドウ畑の先右に神社があり、行き止まりを左折し右折すると、大きな石碑があり、直進すると浄運寺に到着する。 商店を右折すると直進で到着する。 左右にはブドウ畑の棚が続き、車の行き違いがしにくいほど狭い。
山門の左に駐車場が、さらに先には新造されたような二段になった墓所が見える。 車を一番奥まで入れて、上段の墓所へ行くと、中野さんのお墓はすぐに見つかった。 都会では考えられないほどの広さだが、墓碑などは他所よりは小さく、目立たないように作られていた。 そして、奥様の秀さんも今年の1月に80歳で他界されていたことを知った。 墓所の手前両脇には愛犬二匹の碑も置いてあった。 中野さんにとっては我々は見ず知らずの他人ではあるが、著作から受けた感銘を感謝し線香を手向けて来た。
浄運寺の本堂はもう少し上に位置していたが、ここは鎌倉時代の豪族であろうか井上氏が支配していたそうで、寺はその城跡でもあるそうだ。 例年8月に、本堂で無明塾が開かれ、中野さんも講師をされていたようだ。 今年は窪島さんや加賀乙彦さんがお話をされるようで、再びこの地を訪ねることになりそうだ。
なお、中野孝次さんの著書については、4月11日、4月19日、6月4日に記して来た。
2 件のコメント:
なんとなく、愛書、中野孝次さんのことが気にかかり、彼のお墓を訪ねてみたいと思い立ち、「中野孝次・墓」と検索してみたら、このページにめぐり合いました。まずは貴重な情報をありがとうございます。それから、不思議なことなのですが、このコメントの名前欄に、わたしの仕事名である、「くま」と入力したら、なぜか幼児洗礼を受けた時のクリスチャンネームが自動的にカッコ付きで添付されました。今は別段クリスチャンではないのですが(どちらかというと今はチベット仏教の影響を受けています)、これはいったい何か?と、びっくりしてしまいました。失礼ながらこのページの作成者がどこのどのたか知りもしませんが、何かとても深い御縁を感じ、こうしてメールを書いております。ちなみに、「無言館」はボクの大切な心の居場所のひとつです。ちょっと息詰まった近頃、このブログを頼りに、明日早速、浄運寺に行ってみようかと思います。貴様にいつの日にかお会いできたなら幸いです。ありがとうございます!
くま 様
つたないページをお訪ね下さりコメントまでも有難うございます。
私が中野孝次さんの著作を読み出したのは没後でして、残念なことに生前のお姿もお声にも接したことがありません。 著作を読み続けていくうちに、もっと早く接していればと悔やむことが多いです。 中野さんのような正しい論壇をはるというか人間の正義を重んずる学者が、現代において段々少なくなっているのは大変残念なことです。
須坂・浄運寺で夏に行われていた無明塾もこの数年の2回ほどしか出席できず、本堂改修工事のため平成22年で終了してしまいました。
チベット仏教のことは全く理解していませんが、これまでダライラマ師の講演会には二回出かけました。 あの笑顔の中で、チベット人民のみならず地球上の苦悩を一身に背負っておられる姿に、感じることが多いです。
名前欄の名前自動挿入はブラウザのキャッシュ機能によるもので、こちらのサイトとは特に関係はないと思います。
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