ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
今日、広島では、65年前当時の連合国であるアメリカが原爆を投下した8時15分に、原爆犠牲者への冥福を祈り黙祷が捧げられた。 毎年行われる広島での平和記念式典で述べられる秋葉広島市長の平和宣言は、世界平和を願う広島市民ひいては日本国民の思いを完璧にも現している、実に重い言葉であると感じた。
それに比べ市民の苦しみを知らない役人が書いた文章をただ棒読みするだけの総理大臣の挨拶。 「核抑止力は必要」だと、アメリカ駐日大使の初めての式典出席に応えるような心ない言葉が続き、聞いていて悲しいというか、この人も人民の心が何も分かっていないなという落胆だけが残った。 誰が原爆を落としたのか、その原因を作ったのは誰なのか、主語を明確にしないのである。
8月は、広島、長崎、そして敗戦と、記念日が続く。 この時期になると、どこでも、誰もが平和を願う言葉を言い出し、関連の行事も、テレビ番組も多い。 しかし、美辞麗句のごとき「平和を希う言葉」は全く意味がないことを認識すべきだと思う。 すなわち、あの戦争の末期の、広島や長崎、連合軍の空襲を受けた各地、沖縄を思い起こせば分かることだが、60数年前の日本は、神風が吹くと信じさせられご真影をいだいた市民が、各地で悲惨な惨状にみまわれ、いいつくせない苦しみを受けたのであった。
先日記した「満州・たったひとりの帰国」の主人公長野みつ子さんもその一人であった。 そういう惨状が何故起きたのか、何故日本人は筆舌に表せられないような苦しみを受けなければいけなかったのか、その原因を今の日本人はもっと糾弾すべきであり理解すべきである。 つまり、先の戦争は列国と肩を並べるように、かつての日本政府がアジア大陸へ侵略したものであって、実際は大東亜共栄圏などという何も美しく素晴らしいものではなかったのである。 そして戦況が悪くなった時の、政府参謀と昭和天皇の判断が非常に稚拙というかお粗末なもので、もっと戦況への迅速な判断があれば、原爆や空襲で離散し死亡する人はもっと少なかったはずだ。 そういう意味でも、連合国による軍事法廷で戦犯とされた政府要人や軍人のみならず、昭和天皇、そして戦犯を逃れた岸信介や中曽根康弘などは、戦犯に等しく日本人民に対し大きな責任を負っていると言える。(参照:天皇の玉音放送)
そこまで言及しないと、日本の平和政策はお飾りのものであって何も機能せず、近隣の中国や韓国との相互理解も芽生えない。 5月に行われた核兵器不拡散条約会議に向けた世界の平和運動はそれなりに意味はあったと思うが、核について、あれは良い、これは駄目という認識は誤っていると思う。 「核」そのものを否定しない限り、地球上の平和、そして地球そのもの生存がまっとうされない。 というのは、時々「核の平和利用」つまりは原子力発電所は良いと言う人がいるが、核兵器と原発は表裏一体を為すもので、これを分けて考えてはならない。 日本列島にある50数基ある原発施設は安全だと宣言されているものの、海洋の温度上昇や核のチリの撒き散らしを引き起こし、漁獲量が減るばかりか、近隣の住民はその影響によると思われる癌などの病気にかかっているのである。 山口県上関・祝島という、漁業資源に溢れ風光明媚な所に中国電力は原発を作ろうとしているし、島根原発では点検漏れが百数件と露見し停止せざるをえない状況にあった。(中国電力電力部長が自殺までしている) 活断層の上に建てられた原発施設もあると聞くが、日本列島は地震大国なのである。 あるいは、どこかの国のミサイルが誤って日本の原発施設を狙ったら、それこそ放射能被害はあの広島や長崎の何十倍ともなろう。 核のゴミはさらに数百年の後世に禍根を残す。 そういった原子力発電所と核兵器製造は技術的にも表裏一帯にあり(一例としてもんじゅが上げられる)、自衛隊や軍需産業(そしてアメリカ)の姿がそこにも見え隠れしている。 北朝鮮の原発建設にアメリカがストップをかけたのはそういう背景があるわけだが、イランなどはアメリカの思いに関係なく核開発を行っている。 今日、菅総理大臣が言った「核の抑止力」というのは早晩機能しなくなると素人でも分かるわけで、そうなる前に地球上から核に頼らなくて住む社会を作り出すよう、人々の合意形成にむけての活動が一番大事なのだ。
次の写真は、この2月ピースウォークへ広島を訪ねた時のものである。
被爆ピアノ
声なき声
平和監視時計。 原爆投下日からの日数、地球上の核実験日からの日数が表示されている。
韓国・ハプチョンにある韓国人被爆者の慰霊堂を昨年11月に訪ねた。 韓国人も広島長崎で10万人が被爆し、その時の一世はおろか、二世代三世代にわたって被爆にともなう疾病に苦しんでいるという話をうかがった。 我々は朝鮮半島の人々も苦しんでいることを、そしてその原因を作ったのはかつての日本政府であったことを心に刻む必要がある。
中国新聞「2010 ヒロシマ」より
平和宣言
「ああ やれんのう、こがあな辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」―――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊(みたま)と共に、改めて「こがあな いびせえこたあ、ほかの誰(だれ)にも あっちゃあいけん」と決意を新たにする8月6日を迎えました。
ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。
今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全(すべ)ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓(ひら)くために必要であることが確認されました。
核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。
また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲(く)み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。
このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。
こうした絶好の機会を捉(とら)え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑(つぶ)っている人もまだ多いからです。
今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全(すべ)ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。
また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全(すべ)ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。
私たち市民や都市も行動します。志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創(つく)ります。
最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全(すべ)ての被爆者が「生きていて良かった」と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。
2010年(平成22年)8月6日
広島市長 秋葉 忠利
PEACE DECLARATION
August 6, 2010
In the company of hibakusha who, on this day 65 years ago, were hurled, without understanding why, into a “hell” beyond their most terrifying nightmares and yet somehow managed to survive; together with the many souls that fell victim to unwarranted death, we greet this August sixth with re-energized determination that, “No one else should ever have to suffer such horror.”
Through the unwavering will of the hibakusha and other residents, with help from around Japan and the world, Hiroshima is now recognized as a beautiful city. Today, we aspire to be a “model city for the world” and even to host the Olympic Games. Transcending the tortures of hell, trusting in the peace-loving peoples of the world, the hibakusha offer a message that is the cornerstone of Japan’s Peace Constitution and a beacon to the world.
The results of the NPT Review Conference held this past May testify to that beacon’s guiding influence. The Final Document expresses the unanimous intent of the parties to seek the abolition of nuclear weapons; notes the valuable contribution of civil society; notes that a majority favors the establishment of timelines for the nuclear weapons abolition process, and highlights the need for a nuclear weapons convention or new legal framework. In doing so, it confirms that our future depends on taking the steps articulated by Hiroshima, Nagasaki, the more than 4,000 city members of Mayors for Peace, and the two-thirds of all Japanese municipalities that formally supported the Hiroshima-Nagasaki Protocol.
That our cry of conscience, the voice of civil society yearning for a future free from nuclear weapons, was heard at the UN is due in large measure to the leadership of His Excellency Ban Ki-moon, who today has become the first UN Secretary-General to attend our Peace Memorial Ceremony. President Obama, the United States government, and the 1,200-member U.S. Conference of Mayors also wielded their powerful influence.
This ceremony is honored today by the presence of government officials representing more than 70 countries as well as the representatives of many international organizations, NGOs, and citizens’ groups. These guests have come to join the hibakusha, their families, and the people of Hiroshima in sharing grief and prayers for a peaceful world. Nuclear-weapon states Russia, China and others have attended previously, but today, for the first time ever, we have with us the U.S. ambassador and officials from the UK and France.
Clearly, the urgency of nuclear weapons abolition is permeating our global conscience; the voice of the vast majority is becoming the preeminent force for change in the international community.
To seize this unprecedented opportunity and actually achieve a world without nuclear weapons, we need above all to communicate to every corner of our planet the intense yearning of the hibakusha, thereby narrowing the gap between their passion and the rest of the world. Unfortunately, many are unaware of the urgency; their eyes still closed to the fact that only through luck, not wisdom, have we avoided human extinction.
Now the time is ripe for the Japanese government to take decisive action. It should begin to “take the lead in the pursuit of the elimination of nuclear weapons” by legislating into law the three non-nuclear principles, abandoning the U.S. nuclear umbrella, legally recognizing the expanded “black rain areas,” and implementing compassionate, caring assistance measures for all the aging hibakusha anywhere in the world.
In addition, the Prime Minister’s wholehearted commitment and action to make the dreams of the hibakusha come true would lead us all by 2020 to a new world of “zero nuclear weapons,” an achievement that would rival in human history the “discovery of zero” itself. He could, for example, confront the leaders of the nuclear-weapon states with the urgent need for abolition, lead them to the table to sign a nuclear weapons convention, and call on all countries for sharp reductions in nuclear and other military expenditures. His options are infinite.
We citizens and cities will act as well. In accordance with the Hiroshima Appeal adopted during last week’s Hiroshima Conference for the Total Abolition of Nuclear Weapons by 2020, we will work closely with like-minded nations, NGOs, and the UN itself to generate an ever-larger tidal wave of demand for a world free of nuclear weapons by 2020.
Finally, on this, the 65th anniversary of the atomic bombing, as we offer to the souls of the A-bomb victims our heartfelt condolences, we hereby declare that we cannot force the most patiently enduring people in the world, the hibakusha, to be patient any longer. Now is the time to devote ourselves unreservedly to the most crucial duty facing the human family, to give the hibakusha, within their lifetimes, the nuclear-weapon-free world that will make them blissfully exclaim, “I’m so happy I lived to see this day.”
Tadatoshi Akiba
Mayor
The City of Hiroshima
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