先日、同窓会員がメールで、「トランクの中の日本」という写真集を見て、敗戦時の日本人の気高さを感じ、その気高さが戦後日本の復興につながったのではと報せてきた。
早速、ネット検索したら本書の内容が分かり、敗戦直後の日本を駐留軍兵士が私的に撮影したものをアメリカへ持ち帰り屋根裏に放置されていたが、長崎・広島で放射線を浴びたことに起因する病気にかかったことで、撮影した写真が思い起こされ公開に至ったとのことであった。
彼は、戦勝国の兵士であったが、日本の惨状を写す中で、空襲や原爆による死者、怪我や飢えで苦しむ市民を見、その悲惨さを脳裏に植え付けられたのであった。 1989年の反核運動の中でその思いが吐露され、保存されていたトランクを開けることになったようだ。
早速、本書をアマゾンに注文し数日前に届いた。 どれも荒廃した日本を写していたが、自分は「日本人の気高さ」より、「戦争の虚しさや悲しさ」の方を強烈に感じた。 私は、アルバムにあるような現場に立ったことはないが、それでも自分が育ってきた環境の中で、非常に身近な存在として写真を見ることが出来る。 しかし、自分の子供達はこういう写真を見たことはないだろうし、たぶん先の戦争がどういう状況にあったかも理解していないだろう。 自分も、家族も、そして我が家に来られる客人も、この戦争の悲惨さを風化させず、自分のこととして理解ができるように、我が家に本書を置いていつでも見られるようにしておくつもりでいる。
あの日から半世紀、私はついにあのいまわしい記憶の詰まったトランクを開けた。
日本兵の帰郷と題した写真では、原爆投下による故郷のむごい風景に、彼らは言葉を失い、打ちひしがれていたという。
死の町 広島を歩くと題し、被災地はどこを歩いても破壊された建物のかけらと人骨でおおわれていたと記されている。
広島・相生橋付近。 市内の9割の建物が瓦礫と化したとのこと。 ここには人間はおろか何も生きるものがない。 写真に写ったこの地域だけで何人の人が被爆し死んで行ったのであろうか? たぶん数万人という単位なのでしょう。
焼き場となった川岸に立つ少年。 彼の背中には死んだ弟がくくりつけられている。 悲しさを現すことが出来ない少年は空を見つめているばかりだ。 荼毘にふされる弟を確認し、しばらくして少年は立ち去ったとのこと。 私はこの写真を見て、「気丈さ、気高さ」よりむしろ「悲しさ」そして「涙」を感じる。 こんな悲しいことは決してあってはならない。 この写真は長崎原爆資料館に寄贈されているそうだ。
1945年前後に日本にいた、日本人もアメリカ人も数多く、このような悲惨な風景をみているわけで、その体験を風化させず、彼らは人間として後世に伝える義務を負っていると思う。 とにかく戦争はあってはならず、そこには破壊と死しかないのである。 アメリカやイスラエルに限らず、民主主義と平和を守ると理由付けし、他国に侵攻し人々を殺戮している国は多い。 もういいかげんに目を覚ませと言いたい。 戦争という殺人行為は何も生まず、逆に報復や憎しみのみが将来にわたって残るのみだからである。
本書のような写真集があったら、これからも集めておこうと思う。 まず身近な人から厭戦感を持ってもらうために!
今日は、Yahoo → GyaO! で、被爆体験を元にした映画(漫画)「はだしのゲン」を観ることができる。 まずはこういう映画から過去の戦争の実態そして平和の大切さを知ってほしいと思う。
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