雁屋哲さんの「美味しんぼ日記」が久々に更新された。
この二週間、体調が最悪で、このブログの書き込みも、殆ど途絶えてしまっていた。
別に、死んだ訳ではない。
(中略)
今、まともな社会、って世界中に何処か有りますか。
(中略)
人類は、今亡びつつあると思う。
(後略)
雁屋さんが言われるようにアメリカの軍事活動のみならず原子力発電所などなど、同じ思いを我々も常々持っている。 昨日の敗戦記念日に、石原慎太郎や小泉進次郎などの有象無象が靖国神社へ参拝に出かけている限り、この国には救いが無いと確信している。
先の戦争がどんな戦争であっても、その渦中に亡くなった人々への鎮魂の思いは、我々日本人全てが持つべきで、祖先の霊に礼をつくすことは大事なことだと思う。 しかし、靖国神社は明治時代に富国強兵策の中で武運長久を願って作られたものであり、それは日本軍の戦争を賛美し、先の戦争は正しい戦争であったと言わしめる存在なのだ。 戦争で死んだ軍人の魂を軍神としてあがめるための場所なのだ。 友を弔う気持ちがあるのなら靖国ではなく千鳥が淵で十分である。 軍国主義を推し進めるような国家神道は敗戦時に解体されるべきであった。 その辺の理解の切り分けがないまま、靖国参拝を日本人の責務だと考える人は多いが、結局その行動は当時の侵略戦争、日本軍人の殺戮行為を讃えることにしかならない。
もし、先の戦争で亡くなった人々全てを追悼したいという気持ちがあるのなら千鳥が淵へ参るべきだ。 軍人恩給は本人が亡くなっても妻や孫子にまで支払われるらしい。 そういう人達が恩給を貰える状況を維持したいと靖国に参詣するのかもしれない。 どちらにしても、靖国に参る所作は政治家を含め、戦争賛美であり、自分達への欲得づくなのだ。 だから、決して靖国神社を残してはいけない。 原爆や空襲、戦線で名も知れず亡くなった人々、苦しんだ人々全ての霊を千鳥が淵墓苑に埋葬し、彼らの真の鎮魂を願い、皆が平常心で参拝すべきものと思う。
もしも靖国がそういう場であるのなら、率先して参詣に訪ねるが、今はおどろおどろした気持ち悪さしかあの場には感じない。 (以前、桜の季節に足を踏み入れたことがあるが、気持ち悪さが先に立って花を見ずに早々にあの場所を出た。)
昨年、韓国のナヌムの家を訪ねた。 日本軍の従軍慰安婦にされた年老いたハルモニの世話をする施設に加え、従軍慰安婦がどういうものであったか後世に伝える施設を併設している。 日本語の従軍慰安婦という言葉は、非常にあいまいさがある。 英語では、従軍慰安婦を「sexual slave」という。 そう「性奴隷」なのだ。 そういうことをわきまえず、彼女らはみずから進んで慰安婦になったとか商売として行っていたと言う人がいる。 しかし、実際には、強制的に性奴隷にされ、インドネシアのオランダ人のように捕虜を強制的に慰安婦にしたケースもあった。 靖国に参拝することは、そういう忌まわしい歴史に蓋をすることにもつながる。 恥ずかしい歴史は歴史として認める所から、相互の理解が生れるはずだ。 先日、お会いした方は、数年仕事でオランダに住んだことがあって、その過去の歴史を出され、絶対日本人を許さないという老人にもあったが、話していく中で理解され仲良しになったそうだ。 嘘や恥部を上塗りして、無かったことにすることは人間として恥ずべき行為であり、それこそ将来にわたった争いの元であることを政治家や学者など高名な人には特に理解してほしい。
妊娠した慰安婦は、強制的に堕胎されたり、本人自身も捨てられたらしい。
再現された慰安婦の部屋。 この部屋で日本軍人から性交渉を強要されたわけだ。 「ヨシコ」とか「キヨミ」という日本名の名札がかかっている。 彼女らは性のごみ溜めであった。
亡くなったハルモニらの足型と手形。
作者不明だが、
万歳は 悲しきひびき 終戦忌
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