今日は、家内が京都・立命館大学平和ミュージアムで開かれている岡部伊都子回顧展へ出かけてしまい、一人PCの前に座っていても仕方ないので、前々から考えていた北国街道を歩くことにした。 北国街道といっても、軽井沢・追分で中山道から分かれ、ほぼ国道18号線にしたがい直江津(春日新町)を経て出雲崎(終点は佐渡)へ至る長い道のりなので一日では当然歩けず、今日は善光寺から信濃町の古間宿までとした。
なお、先達の資料として幾つかのサイトを参考にさせていただいた。
朝4時半起きし、握飯など支度をして黒姫駅まで歩き、6時14分の始発電車で長野へ向かった。 この時間帯の乗客はほとんど高校生である。 二番電車は7時台だから始業時間に間に合わないのであろう。 長野新幹線の延伸により信越線の存続が危ぶまれているが、彼らはいったいどうすれば良いのであろうか。 効率だけで行政が行われたら、困るのは住民なのである。
さて、出発地点の善光寺(宿)へ向かったのだが、7時を過ぎたばかりだというのに、回向柱にはあいも変わらず長蛇の列。 諦めて歴代の回向柱に会おうと袈裟衣の方に聞いたのだが、要領を得ず結局は分からず、街道歩きを始めることにした。 所で、善光寺信号の麓に長野市道路元標が埋め込まれているのを発見した。 東京・日本橋にも道路などの距離を計測する際の基点があるが、それと同じ意味合いのものであろう。 しかし、ここが出発点だと思ったら違っていた。 出発点は、仁王門をくぐり、すや亀の店脇であった。(早朝にもかかわらず、すや亀の焼きお握りや味噌アイス、そして隣のお焼きにも長い列)
仁王門脇の道は狭いが399号と番号がふられた道で、歩き始めるとやはり街道筋であったと思われる雰囲気はある。 まず出会ったのは、北島書店の「うつくしやしょうじの穴の天の川」という一茶の句。 その先で、長電・善光寺下駅に向かわずに左道に折れる。 新町宿があったという名残は全くない。 三輪七八丁目、三輪89丁目の交差点を過ぎる。
この辺りの地図と実際のルート。
土壁の蔵の隣が日本人形の店で、正面は善敬寺参道だが、遠くに見える本堂の屋根がいやに大きい。 たぶん由緒あるお寺さんなのであろうが、今回は道を左に折れて通過した。 やがて稲田神社の前に来て、自転車屋さんの脇であったか草津への道との分れを示す道標(飯山道分岐?)があった。 道はSBC通り、壇田通り(?)を横切るが、この周辺はツルヤへの買物なのでよく来ているので戸惑うことがない。 住宅街を抜け、若槻道路を田中の信号で渡る。 この辺りは初めて黒姫に通いだした頃まだ若槻道路がつながっておらず、狭い道を抜けたことを覚えている。 あの頃は側溝に蓋がなくすれ違いギリギリで走ったが、現在は完全に蓋がされている。 そのためか車はかなりの速度を出して走っている。 抜け道として使うのか、どちらにしても狭い道なので気をつけて走ってもらいたいものだ。
この辺りの地図と実際のルート。
田子池(1日の釣りが500円とあった)を過ぎると吉の集落に来る。 車の時はこの先の信号で豊野方面に抜けられるので馴染みの場所であるが、いよいよ急坂が始まるのであった。 若槻道路をくぐり、車道に沿った道を進み出会い、やがて丹霞郷の入口へとやって来る。 その手前左奥に、髻山(もとどりやま)という山があり昔の戦の陣地であったらしい。 喘ぎながらやっと三本松に到着した。 ここは福井団地入口とか、野菜売り場のムーチャンと言った方が分かりやすい。 三本松には行人塚があったということだが、隣はDIYショップのコメリがあり、昔の面影はない。
この辺りの地図と実際のルート。
弥太郎15歳の折、江戸へ奉公に出る際、父親がここまで見送ったということで、「父ありてあけぼのみたし青田原」の一茶句碑が立っている。 しかし、この場所は雑草で覆われておりベンチがあっても休む気分になれない。 管理は飯綱町役場であろうか、ここまで目が届いていないようだ。 北信五岳がよく見える場所だが今日は霞んでいた。 坂を下ると牟礼宿に入る。 信濃町まで聞こえている和(?)菓子処・明月堂前を通過して、普段は飯綱町役場の交差点で曲がってしまうが、今日は直進して徳満寺や證念寺から十王坂を上る。 その後やや道を間違え小玉の坂へと進んだ。 国道18号線、信越線を越えて小玉集落を過ぎると、街道は山の中へと入った。 杉林だが、構造物がなく時代劇映画でも撮れそうな場所だと思って上って行ったが、街道はやがて広い林道となった。
広い林道を進むと、道は信濃町の落影という集落に入って行く。 ここには立場があったという、また坂中峠から善光寺へと抜ける分かれ道もあったらしいが気がつかなかった。 飯綱リゾートから国道18号に出る信号の先(小玉の坂の上部)に、仁の倉線へ出る道があるが、あの道はやがて坂中峠につながるので、落影からの道はそこへとつながっていたのであろう。 街道は小古間の集落へと入り、信濃町の酒蔵である松尾・高橋助作酒造店の前から古間宿へと進み、1時過ぎ本日予定した街道歩きは終えた。
この辺りの地図と実際のルート。
GPSで計った歩行距離は26kmだが、余分な行動があったので、街道歩きとしては24km程であろう。 費やした時間は5時間だから、久々のウォーキングとしてはまぁまぁの歩きであったと思う。 と言うものの、一茶を含め、昔の旅人は日没まで十里歩いたそうだから、本来なら関川か田尻まで歩かなければ健脚の部類には入れないであろう。